なぜ中国広東の人々は毎日スープを飲むのか?:滋養と気候が生んだ食文化の深層
広東の食卓に欠かせない「湯(タン)」の習慣
世界の食卓を巡ると、その地域独自の食文化に驚かされることが多くあります。中国広東省も例外ではありません。この地域では、日々の食事に「湯(タン)」、つまりスープが欠かせない存在となっています。食卓に並ぶのは、単なる汁物ではありません。肉や魚、野菜、豆類、乾物、そして時には漢方薬の材料までもが土鍋に入れられ、数時間かけてじっくりと煮込まれたスープです。広東の人々は、朝昼晩を問わず、食事の最初にこのスープを飲むことを好みます。他の地域でもスープは飲まれますが、これほどまでに多様な素材を使い、長時間煮込み、そして毎日欠かさず飲むという習慣は、広東ならではと言えるでしょう。
なぜ、広東ではこれほどまでにスープが重要視され、毎日の食卓に登場するのでしょうか。そこには、この地域の気候風土や人々の暮らし、そして古くからの知恵が深く関わっています。
高温多湿な気候と「養生」の思想
広東省は中国の南部に位置し、一年を通して高温多湿な亜熱帯モンスーン気候に属しています。特に夏場は湿度が高く蒸し暑さが厳しくなります。このような気候は、私たちの体に様々な影響を与えると伝統的に考えられてきました。例えば、体内に余分な湿気が溜まりやすく、消化不良や倦怠感を引き起こす可能性があるとされています。
ここで重要な役割を果たすのが、中国伝統医学における「養生(ようせい)」の考え方です。養生とは、日々の生活の中で体のバランスを整え、病気を未然に防ぎ、健康を維持・増進させるという思想です。広東の人々は、この養生の考え方を非常に大切にしており、食事がその中心を担っています。
高温多湿な気候に対処し、体内のバランスを整えるために、広東では様々な食材や漢方素材を組み合わせたスープが発展しました。食材の組み合わせや煮込み時間によって、体の熱を冷ましたり、湿気を取り除いたり、弱った部分を補ったりといった効果が期待できると考えられています。スープは、体に必要な水分を補給しながら、食材や薬効成分を効率よく体内に取り込むための理想的な方法とされているのです。
「老火湯」に込められた愛情と知恵
広東のスープ文化を語る上で欠かせないのが「老火湯(ラオフータン)」と呼ばれる、長時間煮込むタイプのスープです。「老火」とは「弱火でじっくり煮る」という意味であり、文字通り、肉や骨、乾物、野菜などを土鍋で数時間(通常2〜3時間、長い場合は4時間以上)かけて煮込んで作られます。
長時間煮込むことには、いくつかの理由があります。一つは、素材の旨味や栄養、そして組み合わせた漢方素材の薬効成分を最大限に引き出すためです。じっくりと煮込むことで、食材の持つ力がスープに溶け出し、飲みやすい形で体に取り入れることができると考えられています。また、肉や骨から出るコラーゲンなども豊富になり、滋養強壮の効果も期待されています。
老火湯は、単に体を整えるためだけでなく、家庭における愛情表現としても重要な意味を持ちます。母親や祖母が家族の体調や季節の変化に合わせて素材を選び、時間をかけて煮込むスープには、「あなたの健康を気遣っていますよ」という作り手の深い愛情が込められています。子供の頃から毎日飲んで育つ広東の人々にとって、老火湯は故郷の味であり、家族の温かさを感じるソウルフードなのです。
家庭で広東風スープを楽しむヒント
本格的な老火湯を作るには時間と手間がかかりますが、家庭でも手軽に広東風の滋養スープを楽しむ方法があります。
- 基本の材料: 鶏肉(骨付きがおすすめ)、豚肉(赤身や骨)、干しシイタケ、乾燥貝柱(あれば)、生姜、乾燥ナツメ、クコの実など。これに季節の野菜(大根、人参、とうもろこしなど)や豆類(緑豆、黒豆など)を加えます。
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簡単な調理法:
- 肉は一度熱湯でさっと茹でてアクと余分な脂を取り除いておきます。
- 全ての材料を鍋に入れ、材料がかぶるくらいの水を加えて火にかけます。
- 沸騰したらアクを取り除き、弱火にして蓋をし、1時間以上(可能であれば2〜3時間)煮込みます。圧力鍋を使えば、より短時間で素材を柔らかくし、旨味を引き出すことができます(加圧時間は15〜20分程度)。
- 最後に塩で味を調えれば完成です。
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材料の入手と代用: 乾燥シイタケやナツメ、クコの実などは、中華食材店や大きめのスーパーの乾物コーナーで入手可能です。乾燥貝柱は手に入りにくければ省略しても構いません。鶏肉や豚肉は普段お使いのもので大丈夫です。特定の漢方素材は必要ありませんが、体調に合わせて生姜を多めに入れたり、消化の良い大根や人参を加えたりするだけでも広東風の「養生」の考え方を取り入れることができます。
スープは食事の最初に、熱いうちにゆっくりと味わうのがおすすめです。体の内側から温まり、ほっと一息つく時間を楽しんでみてください。
まとめ:スープに宿る広東の文化
中国広東省のスープ文化は、単なる食の習慣に留まらず、高温多湿な気候への適応、伝統的な養生思想の実践、そして家庭における愛情表現が一体となった深い文化です。毎日時間をかけてスープを作る手間暇には、家族の健康を願う切実な思いと、古くから受け継がれてきた食の知恵が凝縮されています。
広東の食卓に並ぶ湯は、その一杯に地域の歴史、気候、そして人々の絆が溶け込んだ、滋味深い物語を秘めているのです。異国のユニークな食文化に触れることは、私たちの料理のレパートリーを広げるだけでなく、その背景にある人々の知恵や暮らしぶりに思いを馳せるきっかけとなります。広東のスープから、日々の食卓で体を労わることの大切さを感じ取っていただければ幸いです。