なぜポルトガルでは干しタラ「バカリャウ」を食べるのか?:海の国の意外な国民食の背景
ポルトガルの食卓に欠かせない「バカリャウ」とは
大西洋に面し、古くから豊かな漁業資源に恵まれてきた海の国、ポルトガル。新鮮な魚介類が豊富に水揚げされるこの国で、最も愛され、国民食とも言える存在なのが、意外にも「干しタラ」です。ポルトガル語で「バカリャウ(Bacalhau)」と呼ばれるこの干しタラは、単なる食材を超え、ポルトガルの歴史、文化、そして人々の暮らしに深く根差しています。なぜ、新鮮な魚が手に入るはずのこの国で、遠い海で獲れる干しタラがこれほどまでに重要視されるのでしょうか。その背景には、ポルトガルの壮大な歴史と独特の食文化が interwoven されています。
海の国の国民食が「干しタラ」である理由
バカリャウがポルトガルの食卓に定着した最大の理由は、その歴史にあります。ポルトガルは15世紀から16世紀にかけて大航海時代を牽引し、世界中にその航路を広げました。しかし、当時の航海技術では、長期間の航海で食料を保存することが大きな課題でした。冷蔵技術がない時代に、塩漬けにして乾燥させたタラは、軽くて腐りにくく、栄養価も高いため、遠洋航海における貴重な保存食として重宝されました。
さらに興味深いのは、バカリャウの主原料となるタラ(特にタイセイヨウタラ)は、実はポルトガル近海ではほとんど獲れない魚であるという事実です。主に北大西洋、特にニューファンドランド沖や北欧近海で漁獲されます。ポルトガルの漁師たちは、これらの遠い漁場まで出向き、捕獲したタラを船上で塩漬け・乾燥させることで持ち帰りました。これは、タラが他の魚に比べて脂肪分が少なく、塩漬け・乾燥に適していたためです。
宗教的な背景もバカリャウの普及に影響を与えました。カトリックの教えでは、特定の期間(特に四旬節の金曜日など)に肉食が禁じられていました。保存が効き、手軽に利用できるバカリャウは、これらの期間の重要なタンパク源となったのです。
大航海時代を経て、バカリャウは単なる保存食から、ポルトガルの食文化に不可欠な存在へと進化しました。ノルウェーなどからの輸入も始まり、一年を通して安定して供給されるようになったことで、国民的な食材としての地位を確立していきました。
驚くべき「バカリャウ」の多様性
ポルトガルには「バカリャウ料理は365種類ある」と言われるほど、驚くほど多種多様なバカリャウ料理が存在します。これは、バカリャウが単一の料理法で消費されるのではなく、地域や家庭ごとに独自の調理法が発展してきたことを示しています。
代表的なバカリャウ料理には、以下のようなものがあります。
- バカリャウ・ア・ブラス(Bacalhau à Brás): ほぐしたバカリャウ、細切りのフライドポテト、炒めた玉ねぎ、スクランブルエッグなどを混ぜ合わせた料理です。手軽に作れ、多くの家庭で親しまれています。
- パステイス・デ・バカリャウ(Pastéis de Bacalhau): バカリャウ、じゃがいも、パセリなどを混ぜて揚げたコロッケのような料理です。軽食やおつまみとして人気があります。
- バカリャウ・ア・ラガルエイロ(Bacalhau à Lagareiro): 焼いたバカリャウに大量のオリーブオイルとにんにくをかけてオーブンで焼いた料理です。シンプルながらバカリャウの旨味を堪能できます。
これらの料理は、バカリャウを単に食べるだけでなく、どのように戻し、どのように調理するかによって、全く異なる味わいになることを教えてくれます。乾燥している状態では非常に硬く塩辛いバカリャウが、適切に戻されることでふっくらとした食感と凝縮された旨味を持つ食材へと変化するのです。
家庭で「バカリャウ」を楽しむためのヒント
バカリャウ料理を家庭で楽しむためには、まず乾燥したバカリャウを正しく戻す作業が非常に重要です。バカリャウは塩漬けされているため、数日かけて塩抜きを行う必要があります。
- 準備: 硬く乾燥したバカリャウを流水で軽く洗い、表面の塩を落とします。
- 浸水: 大きな容器にバカリャウを入れ、たっぷりの冷たい水を注ぎます。バカリャウが完全に水に浸かるようにしてください。
- 塩抜き: 冷蔵庫に入れ、1日1〜2回水を換えながら、2〜3日(バカリャウの厚さによります)浸水させます。端を少しちぎって味見をし、塩加減を確認しながら戻してください。完全に塩を抜きすぎると味がなくなるため、少し塩味が残る程度が目安です。
戻したバカリャウは、加熱して使用します。茹でる、焼く、揚げるなど、様々な調理法が可能です。
家庭で手軽に楽しむなら、前述のバカリャウ・ア・ブラスがおすすめです。戻して加熱しほぐしたバカリャウと、細切りのフライドポテト(市販の冷凍ポテトや、じゃがいもを細切りにして揚げたもので代用可能)、炒めた玉ねぎを混ぜ合わせ、溶き卵でとじるように加熱すれば完成です。
日本国内で乾燥したバカリャウを入手するのは、ポルトガル食材を扱う輸入食品店やオンラインストアが主なルートとなります。もし乾燥バカリャウの入手が難しい場合は、塩抜き済みの塩蔵タラや、塩鮭などを塩抜きしてから使うことで、バカリャウ料理の雰囲気だけを楽しむこともできるかもしれません。ただし、本格的な風味には乾燥バカリャウの使用をおすすめします。
まとめ
ポルトガルの国民食バカリャウは、単に美味しい干しタラというだけでなく、大航海時代の歴史、宗教、そして人々の知恵が詰まった文化的な存在です。獲れない魚を遠い海から運び、保存性を高める工夫を凝らし、そして多様な料理へと昇華させてきたポルトガルの食文化は、まさにその国の歴史そのものと言えるでしょう。バカリャウを通して、ポルトガルの海の歴史と人々の暮らしに思いを馳せてみるのはいかがでしょうか。家庭で試す際は、まず丁寧な塩抜きから挑戦してみてください。