なぜベトナムでは薄いライスペーパーが多様な料理に使われるのか?:米粉と水が生んだ変幻自在の食文化
ベトナム料理と聞いて、多くの方がまず思い浮かべるものの一つに「生春巻き」があるのではないでしょうか。透明で薄い皮に色とりどりの野菜やエビ、肉などが包まれた、さっぱりとして美しい料理です。この皮こそが「ライスペーパー」、ベトナム語で「バインチャン(Bánh Tráng)」や「バインダーネム(Bánh Đa Nem)」と呼ばれるものです。
しかし、この薄い一枚のライスペーパーは、生春巻きのためだけに存在するわけではありません。揚げ春巻き、バインセオ(ベトナム風お好み焼き)を巻くため、さらには鍋物に入れたり、炙ってスナックにしたりと、実に多様な形でベトナムの食卓に登場します。なぜ、ベトナムではこれほどまでにライスペーパーが広まり、様々な料理に姿を変えるのでしょうか。そこには、ベトナムの気候風土、歴史、そして人々の知恵が深く関わっています。
米文化が生んだ保存の知恵
ベトナムは古くから稲作が盛んな国です。米は主食であるだけでなく、様々な加工品に形を変え、無駄なく活用されてきました。ライスペーパーもその一つです。主原料は米粉と水、そして少量の塩。これを薄くクレープ状に伸ばして蒸し、竹で編んだ網などの上で乾燥させて作られます。
この「乾燥させる」という工程は、湿度の高い熱帯・亜熱帯気候における保存性を高めるための重要な知恵です。水分を極限まで飛ばすことで、常温での長期保存が可能になります。冷蔵技術が発達していなかった時代には、収穫した米を保存し、様々な料理に使うための画期的な方法だったと言えるでしょう。薄く、軽く、持ち運びにも便利なため、行商や旅の際にも重宝されたと考えられています。
多様な形に変わる柔軟性
ライスペーパーの最大の特長は、その薄さと、水で戻すことで驚くほどしなやかになり、様々な形に変化する柔軟性です。乾燥したままの状態ではパリッとしていますが、水に浸すと数秒で柔らかくなり、食材を包んだり、丸めたり、折り畳んだりすることが自由自在になります。この特性が、多様なベトナム料理を生み出す基盤となりました。
例えば、生春巻き(ゴイクン)は水で戻したライスペーパーで具材をそのまま包みます。一方、揚げ春巻き(ネムザンやチャージョー)では、地域によって異なりますが、乾燥したまま具材を包んで揚げることで独特の食感を出したり、一度水に戻してから揚げてパリパリとした食感に仕上げたりします。また、バインセオという米粉とココナッツミルクで作る黄色いクレープのような料理は、そのままでは食べにくいため、レタスなどの葉物野菜と一緒にライスペーパーで巻いて食べることが一般的です。この巻き方一つをとっても、ライスペーパーが単体で完結する食材ではなく、他の食材や料理を「包み込み」、一体化させる役割を担っていることがわかります。
さらに、ベトナム中部や南部には、乾燥したライスペーパーをそのまま火で炙ったり、焼いたりして食べる習慣もあります。香ばしくなり、スナック感覚で楽しむことができます。鍋物やスープに加える地域もあり、煮込むととろみがついたり、プルンとした食感になったりと、用途によって全く異なる顔を見せます。
家庭で楽しむためのヒント
現在、ライスペーパーは日本のスーパーやアジア食材店などで手軽に入手できます。種類も豊富で、米粉だけでなくタピオカ粉などがブレンドされたもの、丸形や四角形、大きさも様々です。生春巻き用として売られているものは、水戻ししやすく、破れにくいように調整されていることが多いです。揚げ春巻きに使う場合は、パッケージの表示を確認するか、何度か試して好みのものを見つけるのが良いでしょう。
家庭でライスペーパーを楽しむ最も手軽な方法は、やはり生春巻きです。ぬるま湯にさっと浸して(浸しすぎると柔らかくなりすぎるので注意が必要です)、お好みの具材(茹でエビ、蒸し鶏、サニーレタス、きゅうり、ニラ、ビーフンなど)を乗せて巻くだけです。パクチーやミントなどのハーブを加えると、より本格的な風味が楽しめます。つけだれは、ヌクマム(魚醤)ベースのつけだれ(ヌクチャム)や、甘辛い味噌だれ(トゥオン)など、様々なバリエーションがあります。
生春巻き以外の活用法としては、ライスペーパーを細かくちぎってスープの具材にしたり、野菜と一緒に炒めたりすることもできます。また、電子レンジ対応のお皿に乗せ、軽く霧吹きで水をかけてから数十秒加熱すると、柔らかくもっちりとした食感になります。これを具材と一緒に巻けば、簡易的な蒸し春巻き風にもなります。揚げ物をするのが億劫な場合は、オーブントースターで炙って香ばしいスナックにするのもおすすめです。
シンプルな素材が生む無限の可能性
ベトナムのライスペーパーは、たった米粉と水というシンプルな素材から生まれています。しかし、その薄さ、乾燥による保存性、そして水で戻した時の柔軟性という特性が組み合わさることで、様々な料理に姿を変え、ベトナムの人々の食生活を豊かに彩ってきました。
乾燥させるという先人の知恵、そして多様な食べ方を見出した人々の工夫は、現代の私たちの食卓にも多くのインスピレーションを与えてくれます。冷蔵庫に余っている野菜や、いつものおかずも、ライスペーパーで包んでみたり、加えてみたりすることで、普段とは違う新しい一皿が生まれるかもしれません。ぜひ、この変幻自在なシートを使って、ご家庭でベトナムの食文化の一端を体験してみてください。